『声が高い少数派』
世間では、「ノイジーマイノリティー」と言うそうである。
さて、はたして少数派又は多数派という事は重要なのだろうか。
そして、声が高い低いも重要なのだろうか。
発信されたその情報は「雑音」なのか「傾聴するに値するもの」なのか。
この問題の本質は、どこにあるのかもう一度考える必要がある。
「雑音」と呼ばれる情報は、発信する「権利」を有するための「義務」を果たしていない人が発言したもの大半だ。
そんな無生産者とは、投票もしないで政治に文句を言う人、納税(ここでは倫理観の欠く税金回避・逃避地利用者も含む)もしないで税金の使い道の文句を言う人などなど、そんな当たり前の義務も果たさない方々だ。
そんな当たり前の義務も果たしていない人が、はたして本気で社会に対して考えて発言しているかどうか疑問である。
『バカの国』(アイバス出版)の著者KAZUYA氏の言葉を借りるなら、『国民がバカだと国もバカになる』。その通りだ。
世界が、国が、文化が、社会が、地域が衰退していくことの責任は、そこに暮らす私たち全員にあると考える。
最後に、雑音を一言。
以前、大臣がホテルのバーで高い酒を飲んで「庶民感覚とかけ離れている」といった事が話題となった。
格差の問題だが、富裕層に滞留している資産の再分配を考えた時、強制徴収するよりは散財してもらう方が良いのでは。
どこかの都知事さんのように公私混同されてはたまったものではないが、ポケットマネーでじゃんじゃん使ってもらわないと世の中にお金は流れません。
全世界の富裕層の方々へのお願いなのですが、できれば日本国内で日本企業での消費をお願いいたします。(この発言も国粋主義と叩かれるかな)
素敵な日本の未来のために。