『「やさしさ」という技術 賢い利己主義者になるための7講』
ステファン・アインホルン
池上明子 訳
ISBN978-4-86410-421-0
株式会社飛鳥新社
「やさしさ」について考えたことはあるだろうか。
巷で聞こえてくる「やさしさ」のそのほとんどのは本書でいう「やさしさ」には、ほど遠いものであることが多い。
それは、自分以外を無視した利己主義からきたものだからだ。
著者も言うとおり利己主義が悪い事と決めつけるのは良くない。
自分と関わりあった人に責任をもてるかどうか。
私なりに定義着けていた「やさしさ」とは、長期にわたりその「人」や「モノ」に継続的な利益を与えることと考えてきた。
それが、完全に実行されているかどうかではなく、可能な限りそう努めていくという心持が大切なのではなかろうか。
さて本書にもわかりやすく説明してある箇所があるので引用してみたいと思う。
行動を起こさず、立場を明確にしないことをやさしさだと考えるのはまちがっている。真のやさしさは、それとはまったく別物だ。やさしさとは、長い目で見れば相手に最善の利益をもたらすと思われる行いをすることだ―たとえ一見無情に思えたり、非難をあびたりするような行いであっても。(P045)
そして、P046にでてくる「ホワイトナイト症候群」という病。私もこの病気にかかりやすい性分ではなかろうかと読んでいて頭が痛くなった。
また、ダライ・ラマの言葉を引用した部分。
「身勝手から生まれる善意?そんなの善意じゃない。たんなる利己主義だよ!」―こう憤慨する人もいるかもしれない。だがそうした見解は、「利己主義」と「善」が全く反対のものだという、ありがちな誤解にもとづいている。そうではな。私たちには利己的な動機から善行を行う立派な権利があるのだ。ダライ・ラマが利己主義的な人間について、賢明な発言をしている。
「愚かな利己主義者は、いつも自分のことだけを考えて、否定的な結果を招きます。一方で賢い利己主義者は、他人のことを考えてできるだけ手を貸し、自分と相手のどちらにも得になる結果をもたらすのです」(P138)
誠実な思考の基に、実行すればすべてはうまくいく。
他人が何と言おうと、たとえ命を落としたとしても胸を張って「素晴らしい人生だった」と言える人生を送れたのなら。
素敵だとは思いませんか。
チョッパーの名付け親、Dr.ヒルルクのように(ONE PIECEより)